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社員が自ら考えない組織ができる理由
「なぜ?」を伝えず「何?」を伝えるから
経営者に話を伺うと、「なぜウチの社員は自分で考えないか?」といらだつ方が結構いらっしゃいます。それは、自分で考えないよう育てているから、というのがシンプルな答えなのですが、もう少し詳しく考えてみましょう。
社員が考えない組織の場合、よくあるのが「何をやるか?」ばかりを伝えていることが多いと思います。わかりやすいのが営業の話で、「もっと売ってこい」「ノルマ必達」などと、何をやるかばかりを話しがちです。
そうすると「とりあえず言われたことをやる」社員が急増します。そうすると、応用ができません。たとえば、ゴルフの指導で、ひざを曲げて打つ、と言われたとして「なぜ膝を曲げるのが大事なのか?」がわからなければ、応用も工夫もできません。
減点主義が横行しがちな組織
そしてもう一つの理由は、一般的に、ビジネスの現場は減点主義に陥りがちだということ。マニュアルが必要最低限の行動の方法を記してあるとすれば、それをやれるのが当たり前。それをやれなければ減点です。たいていはマニュアルが正しいとされているのが前提なので、工夫の余地はありません。マニュアルを超えて工夫して上手くいけばいいですが、うまくいかなければ責められます。となると、あえて責められるリスクを冒して工夫するような人などいるはずもありません。
つまり、マニュアルというか、過去の前例が重視される組織風土において、余計な工夫をしないのは自分の身を守ることをしっかりできる優秀な社員とさえいえるかもしれません。そもそも、会社がそういう評価基準を持っている、ということなのです。

それでも社員が自主的に考えてほしいという経営者
自主性に否定的な仕組みの中では自主性のある社員は育たない
滑稽な話ですが、経営者は余計な問題をおこさないよう、マニュアルや前例を重視します。その一方で、工夫せよと言います。工夫するというのは未知の世界へ踏み出すことにほかなりませんから、失敗をマイナスととらえる社風の中では絶対にできません。そういう社風の中で工夫する人は、いずれその会社を去る人、と考えておいたほうが無難です。
工夫は「余地」のある所に行われる
さて、工夫や自主性を重んじようとおもったとき、そこに「隙間」が必要になります。すべてが完ぺきにぎっしり詰まった状態ではなく、隙間があるからその隙間で工夫できる、というのが物事の論理です。そしてその余地は、「行動を指図」していては生まれることはありません。大事なのは、「なぜその行動が必要か?」ということになります。
たとえば、ある事務作業があったとします。それは単体で見たときに、何のためにやっているかはさっぱりわかりません。しかし、社員としてはそう処理するよう教わっているので何かに役立っているのだろう、とは想像するわけです。しかし、どう役に立っているかがわからない以上、その作業に工夫をすることはできません。
しかし、「この事務作業は実は、次の工程でAとBを識別するためにやっている」ということがわかれば、その目的を達しつつ、簡単であったり、ミスのない方法を考えることは可能になってきます。つまり、「どうやるか?」ではなく、「なぜやるか?」を一つ一つの仕事について知っておく必要があります。
終局の問い
この問いは、現場レベルの仕事はもちろんですが、会社の存在意義としても使えます。例えば、営業をもっと頑張らねばらない、となったとき「なぜ?」となります。その答えは、給料をもっと払うためかもしれませんし、会社の借金を返すためかもしれません。しかし、それだけではなんだかピンときません。じゃあってことで、自分たちの商品が世の中に広まることで、世界が変わるかもしれない、となったらどうでしょうか。それはなかなかにワクワクする話でもありそうです。
すると、モチベーションはおのずと湧いてきます。(人間というのは人の役に立つとわかると、頑張れる生き物なのです)
そこへ至るには、現場作業の「なぜ?」に始まり、会社として「なぜ存在しているの?」というところに話が至ってくると、がぜん会社の存在感が変わってきます。まあ自分たちの収入のためというのも大事な要素ですが、もっと大きな何か、というところに話が至り始めると、みんなが会社のことを自分事として感じ始めます。
やらされているから、一緒にやる、という方向に変わっていくのではないでしょうか。そこまで、経営者はとっても大変なんですが、その覚悟があれば、そんな会社作りも不可能ではないのだと思います。
