目次
「リアル」から「ヴァーチャル」へ?
課題解決を加速させる!?
ここのところ、日本では「働き方改革」という事が言われています。しかし、一向に進まないというか、そもそもの仕事のやり方を変えずして、単に時短だけを進めようという短絡的な話が多いような気がします。しかし現実問題として、仕事の量や進め方が変わらなければ、結局サービス残業を増やして対応する。つまり、問題がどんどん奥深く潜在化してしまいかねません。
そこからなかなか動けなくなっていたところにきて、このコロナウィルス騒ぎです。もう待ったなしで、テレワークへの変化の加速、会社に通勤することなく仕事ができる体制、そもそも雇用という価値観さえ変わってしまうかもしれません。
オーバーに聞こえるかもしれませんが、会社って何だろう?という議論も出始めるかもしれません。
営業は「会う」ことから始まるのか?
古い価値観から考えると、営業というのは「会う」ことが大事と言われていました。とにかく、アポイントを取り、訪問する。電話口で商品説明をしてはいけないとかいうことを先輩に教わった気がします。しかし今は、電話でさえ迷惑なのに、訪問するのは相手の時間を奪う、という感覚が強くなってきています。
実際に過去から言われている営業の常識というのは、あまり正しいと言えないことも多いように思います。的確に相手のニーズをつかめば、「自分を売り込む」という動作が必要なくなるシーンを私はよく経験しました。そもそも、相手のニーズを的確な質問であぶり出すことこそが、自分を売り込む行為につながっているのかもしれません。
そういったことを考えると、会うことが前提というのは少し時代の感覚とかけ離れつつあるかもしれません。今は、ネットを通じたコミュニケーションツールもたくさんあります。そういったことの活用で、移動時間をカットすることが可能ですし、無駄な訪問は、訪問する側も受ける側も迷惑なもの、というにんしきが増えてきているのではないでしょうか。
すべてがヴァーチャルになるというわけではない
ネット飲み会
ご存知でしょうか?今、「ネット飲み会」なる活動を試す方が多くなっています。これは、インターネットのネット会議(今は、ZOOMなどで無料、あるいは安価でテレビ会議が可能)を利用して、PCの向こうとこちら側で飲み会をするというもの。自分は自分の自宅やオフィスで飲み物やつまみを用意して、ネット環境を整えます。相手もまた、自宅やオフィスで飲み物を自前で用意してネットでつながる。
まあ、飲み物やつまみは無くてもいいのでしょうが、言ってみればリラックスツールです。気軽に飲み食いしながら、いろんな会話を楽しむ。実はそんな中から新しいアイデアが出てくる、ということで積極的に進めている人もいるようです。
確かにお手軽ですが、すべてのコミュニケーションをヴァーチャルにせよ、という意味ではありません。こういったヴァーチャルのコミュニケーションで間を埋める形でおぜん立てをすることで、リアルな話し合いが濃い内容になる、という事はあるような気がします。
リアルの良さ
人と人がひざを突き合わせて話をするとき、お互いの息遣いがわかるとか、仕草から感じ取るものがあるとか、リアルに会うことの良さはもちろんあります。しかし、そのために時間を合わせ、移動し、話し合いをするというのは実はとてもコストのかかることです。このコストのかかる時間を大事に扱うためにも、ヴァーチャルを上手く活用し、その時間の効果を最大化する試みが必要となってきます。これは、社外のみならず、社内会議でも同じでしょう。リモートワークが当たり前になった時、大事なのはヴァーチャルでおこなう「前準備」です。
人と人が会う、という事がこれまで以上に高い価値があるという事を認め、その前提でコミュニケーションを考えて行くことが、これからの起業にはとても大事なことなのかもしれません。
会社に集うことの価値
雇用ということの考え方
今まで、会社の仕事と言えば、会社に出勤し、そこで必要な仕事をこなすというのが当たり前でした。リモートワークが推奨される昨今においては、どこでも働くことができる、という環境が提供される方向に向けられます。すると何が起こるか、というと、「雇用」という考え方は果たして必要なのか、という事です。働き方としては、みなほぼフリーランスのように働き、仕事としては会社の仕事を中心に行う。今や副業も解禁の流れが来ていますから、するともはやその人が会社の社員である必要はなくなってくるのかもしれません。
会社としても、その人を養う意識は薄れるかもしれませんし、社員も会社への帰属意識は薄くなるかもしれません。こういった状況が訪れた時、会社というコミュニティはどうなっていくのでしょうか。私は実は、会社というコミュニティはその必要性を徐々に失っていくと考えています。そんな近未来のことを考えたとき、今自分たちが何をすべきか、考えてみる機会を持つのも必要なことかもしれません。
